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−土井淑平さんの待望の新著−
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わたしたちの間近で大きな事件が相次いでいます。悲しい出来事としては、塚本靖
代さん、石原郁子さん、矢川澄子さんの死去があります。なかでも、映画『第七官界
彷徨・尾崎翠を探して』の製作発表の日から、このHPの制作に至るまで、研究者の
立場から常に同行してくれた塚本靖代さんを失ったことは、ただただ茫然とする他あ
りません。この三人の方については、あらためて報告したいと思います。 喜ばしい出来事としては、林あまりさんをメイン・ゲストに迎えた「第2回 尾崎 翠フォーラム・in・鳥取」の開催と、フォーラム実行委員会代表の土井淑平さんの新 著『尾崎翠と花田清輝−ユーモアの精神とパロディの論理』(北斗出版・2400円 +税)の刊行があります。また、機会あってモントリオール大学教授のリヴィア・モ ネさんと都内で出会えたことも、嬉しいことのひとつに数えられるかも知れません。 モネ教授は、言うまでもなく、翠研究に新しい地平を開いた論文「自動少女−尾崎翠 における映画と滑稽なるもの」(『國文學』00年3月号)の筆者です。 土井さんの新著は、昨年の「第1回 尾崎翠フォーラム・in・鳥取」に向けて『ファ イ−人文学論集鳥取』特集号に寄稿され、わたしが「リヴィア・モネ教授の論文にも 比肩すべき大型評論」として紹介した「ユーモアの精神とパロディの論理−尾崎翠と 花田清輝を結ぶもの」をベースにしながらも「かねてからのモチーフを全面展開した ため、ほとんど原形をとどめぬ完全なる新著となった」(あとがきより)ものです。 悲しみの連鎖もあれば、喜びの連鎖もあり、いや悲しみも喜びもランダムに連鎖し ていくのかも知れませんが、わたしたちは尾崎翠という主題をめぐって出会った、翠 なければ出会うことはなかった、そのことを念じ、噛みしめたいと思います。 土井さんの新著についても、あらためて詳しく論じますが、光栄なことに浜野監督 とわたしが推薦の辞を寄せていますので、取りあえずここに拙文を掲載しておきます。 |
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| (2002.7.21 ヤマザキ) |
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<書評>山崎邦紀 (「日本海新聞」2002年9月7日掲載 ) |
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ほとんど忘れ去られていた尾崎翠を「わたしのミューズ」と呼んで、翠復活の機縁を作った花田清輝。彼は戦後日本の怪物的批評家として一時代を画したが、今や読まれることもめっきり減った。おそらく翠の読者の方が多い逆転状況の中で、この日本人離れした二つの精神の出会いが持つ意味を、現代の地点から、ものすごい馬力で論及したのが本書である。 著者の土井淑平は、昨年から鳥取でスタートした「尾崎翠フォーラム」の代表だが、わたしたち『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』(浜野佐知監督)の撮影隊が、どやどや岩美町に乗り込んできたのが九十八年。当時、地元鳥取県でも翠を知る人は多くなかったが、三年後にはフォーラムの開催が多くの耳目を集め、今年の二回目に時機を合わせて本書が出版される。翠再々評価の運動の、大きな結実といえるだろう。(再評価は七十年代以降行われてきたが、今や質量ともに新たな次元に入った) しかし、本書で引用される文献の圧倒的な量と多彩さには、唖然とした。これまで書かれたほとんどの翠論や清輝論、中には公刊されていない論文まで踏まえた上で「笑い」をメイン・モチーフとした自説を展開している。いかなる読解がなされてきたか知る上でも有益だが、従来の文芸評論やアカデミズムの論文とはまったく異なる、思想的、哲学的なアプローチだ。翠とフェミニズム批評、清輝と現代思想家、デリダの類縁性など、新鮮な照射によって、今日的な可能性を浮かび上がらせている。 しかし、だからといって難しいだけの本ではない。何しろ、笑いがテーマですからね。例えば「子供がうんこの話を好むことは世の親なら誰でも知るところだ」と淑平は書く。残念ながらわたしに子供はないが、記憶を遡ると、水木しげるのどっさりうんこの出てくるマンガを愛読したものだ。翠の美しい幻想小説『第七官界彷徨』の世界が、全篇肥やしを煮る匂いに満ちていることは、今さら言うまでもないが、おかげでわたしたちの映画は、一部のお上品な方々のシカメ面を招いた。もっともアメリカの上映では、肥やしが出てくるたびに大きな歓声や笑い声が巻き起こった。おそらく彼らは、子供の心性を残しているに違いない。 しかし、家の中で肥やしを使って二十日大根や蘚(こけ)を生育している町子たちのボロ家を、動物や植物などの自然なエネルギーが循環している「エコロジカルな小宇宙」と捉えるところに、淑平の独壇場があった。翠とエコロジー! 誰がこれまでこんな非文学的な読解をしたことだろう。 いや、わたしはエコロジーという思想や運動を誤解していたようだ。誰にも反論しにくい正義の御旗を掲げ、まなじり決した表情を、つい思い浮かべるのだが、淑平によれば、エコロジーと喜劇は深く結びついている。自分が生き延びるためには何でもする「喜劇的生活様式」は、すべての生物に見られ、進化もまた「行き当たりばったりの日和見的な喜劇」なのだそうだ。町子たちの恋愛がことごとく失恋や片恋に終わり、蘚の恋愛だけが盛大に花開くのも、エコロジカルな喜劇だろう。三五郎に言わせれば、彼は「植物の恋の助手」にすぎない。 町子の名前が小野小町のパロディであり、フロイトの精神分析をもじったのが「分裂心理学」であることは、翠自身が明かしているが、淑平は現代のテクスト理論で解読する。翠が、医学や科学や文学の言葉やスタイルを導入してくる際の、微妙なズレや意味の転換によって、独特の可笑しみ―ゲラゲラ笑うのではないが、凝り固まった思考や感情のモツレをゆるやかに開放してくれる、冴え冴えとしたユーモアが生じる。それをパロディとして読む淑平の論理展開は、まことに鮮やかなものだ。 思えば「運動」の中から作品を制作することを主張してやまなかったのが、清輝だった。「尾崎翠フォーラム」の運動から、さらに新たな結実があることを願うが、まさにこの書は、翠と清輝をめぐる討論の「広場」であり、そこでわたしたちは、笑うエコロジスト、淑平と出会うのである。 なお、「定本 尾崎翠全集」を出版した筑摩書房が、十月中旬に文庫版で「尾崎翠集成」全2巻を刊行する。中野翠による編集と解説で、大いに期待したい。 |
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